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三澤敏博 著

全国の史跡の中でも人気のスポットとなっている銅像。
しかし、その銅像がどのような思惑をもって制作され、

またその制作自体がどのような経緯で行われていたかということは、

あまり知られていない。
とくに銅像文化が花開いた明治維新期の銅像建立秘話には、

激動の幕末維新の背景にある矛盾が内包されており、

意外な幕末維新史のアナザーストーリーを見出すことができるのだ。
豊富な写真・資料とともに綴る、銅像の「新しい鑑賞手引き」。

序章 銅像文化のはじまりは開国にあり
 
第一章 [東京三大銅像之壱]靖国神社の大村益次郎像
 ●大村像が立つ靖国神社と長州藩
 ●長州藩士・大村益次郎とは
 ●大村益次
郎像の建設
 
第二章 [東京三大銅像之弐]上野公園の西郷隆盛像
 ●西郷の名誉回復にはじまった銅像計画
 ●西郷像の建立計画
 ●西郷像は似ているのか?
 ●西郷像が立つ上野公園


第三章 [東京三大銅像之参]皇居外苑の楠木正成像
 ●幕末維新と楠木正成
 ●楠木像の馬体を制作した紀州藩士
 ●楠木正成像の建立


第四章  銅像界のアイドル 二宮金次郎像
 ●二宮金次郎とは
 ●二宮金次郎像の誕生
 ●校庭に立つ二宮金次郎像


第五章 銅像の悲劇
 ●狙われた井伊直弼像
 ●引き倒された伊藤博文像
 ●戦争と銅像


終章 銅像の行方

POINT 1

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写真のない大村益次郎像は
いかにして造られたのか!?

一般に大村益次郎像は、イタリア人画家・キヨッソーネの肖像画がモデルといわれている。だが、実は大村の肖像画が、いかにして描かれたのか、その詳細は全く分かっていない。そもそもキヨッソーネが肖像を描く際、会ったことや写真のない人物の場合、は必ず代わりのモデルを用意している。では、あの頭の大きい大村の肖像は何をモデルとしたのであろうか。大村像制作の謎に迫る!

明治天皇の肖像制作にあたり、自らがモデルとなるキヨッソーネ

本誌掲載写真(『お雇い外国人キヨッソーネ研究』明治美術学会・印刷局朝陽会編より)

POINT 2

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板垣退助が作り直させた

西郷の肖像画

本誌掲載写真(『自由党史』より)

上野の西郷隆盛像は

本人に似ていないのか!?

西郷隆盛像の除幕式の際、未亡人の糸子はその像を見て、思わず言葉を漏らした。

「宿んし(主人)は、こげな人じゃなかったこてえ」

この発言により、現在でも西郷像は似ていないという説がある。果たして西郷像は似ていないのか。当時の制作関係者・西郷家親族の証言、西郷の知人らによる証言を徹底的に追求。その真相を暴く!

POINT 3

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なぜ皇居に楠木正成像が!?

幕末維新は建武の新政が

モデルだった!?

皇居外苑に立つ凛々しい楠木正成像。南北朝時代の楠木像が、なぜ皇居に建てられたのか。それはかつての志士たちが、建武の新政をひとつの指針とし、自らが楠木正成のつもりで明治維新を成し遂げたからである。ただし、楠木は南朝である後醍醐天皇に殉じた英雄だ。北朝の血を引く明治天皇との関係は、国会でも取り上げられる事態となった。

吉田松陰や坂本龍馬らも足繁く墓参した楠木正成の墓

POINT 4

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金次郎の出身地である小田原には、成人した金次郎の像も建てられている

西郷や勝海舟が尊敬した

二宮金次郎とは何者?

銅像界のアイドルとして知られる二宮金次郎。小学校の校庭に立つその愛らしい姿は、現在でも各地で見ることができる。

だが、そもそも二宮金次郎が何をした人かはあまり知られていない。実は金次郎は勝海舟から西郷隆盛までが尊敬した、優れた農政家であり、その実績は戦後のGHQまでが認めるものであった。

金次郎の功績を紹介するとともに、大東亜戦争における金次郎像の運命を追う!!

POINT 5

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狙われた井伊直弼像と

引き倒された伊藤博文像

横浜の地に「開港の恩人」として建立された井伊直弼像。だが、「安政の大獄」で吉田松陰らを死罪にせしめた井伊の銅像建立は、なかなか認められず、ようやく完成するも銅像の首が狙われる事件があった。幸い、井伊像の襲撃は未遂に終わったが、一方で実際に引き倒されたのが、松下村塾出身の総理大臣、伊藤博文像であった。日露戦争におけるポーツマス条約への怒りが、伊藤像に飛び火し、彼の像は市中引き回しのあげく、吉原に打ち捨てられた。

伊藤像引き回しを報じた当時の新聞挿絵

POINT 6

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再建された京都円山公園の
龍馬・中岡像にはある秘密があった!?

現在、京都丸山公園に建つ龍馬・中岡像は多くのファンが集まる観光スポットとなっている。実はこの像は戦後、菊池一雄によって再建された二代目であり、初代の像は戦争中の金属回収によって溶かされてしまった。初代の像を制作したのは、高知県桂浜の龍馬像で有名な本山白雲であり、当時の像も龍馬・中岡の凛々しい風貌を表したものであった。しかし戦後、像を再建した菊池一雄は、この像を平和な像とすべく刀を外すことなどを画策した。

発見された初代像の写真を参考に、現在の像との間にある秘密を徹底考察。

本山白雲によって制作された初代の龍馬・中岡像

本誌掲載写真(『京の記憶アーカイブ』より)

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